『宇治拾遺物語』

一 道命於和泉式部許読経五条道祖神聴聞事[上本一]  

今は昔、道命阿闍梨(あじゃり)とて傅殿(ふどの)の子に色にふけりたる僧あり
けり。和泉式部に通けり。経を目出たく読みけり。それが和泉式部がり行
きて臥(ふし)たりけるに、めざめて経を心すまして読みける程に、八巻(やまき)(よみ)はてゝ暁にまどろまんとする程に、人のけはひのしければ、

「あれはたれぞ」と問ければ、

「をのれは五条西洞院(にしのとうゐん)の辺(ほとり)に候(さぶら)ふ翁に候ふ」
と答ければ、

「こはなに事ぞ」と道命いひければ、

「この御経をこよひ(今宵)承りぬる事の、生々世々(しやうじやうせぜ)忘れ
がたく候」

といひければ、道命、

「法花(華)経を読み奉る事は常の事也。など今宵しもいはるゝぞ」
といひければ、

五条の齎(さい)いはく、

「清くてよみまいらせ給(たまふ)時は、梵天、帝釈を始め、奉りて聴聞(てやうもん)
せさえ給へば、翁などは、近づき参りてうけ給はるに及び候はず。今宵は御
行水(ぎやうすい)も候はで読み奉らせ給へば、梵天、帝釈も御聴聞候はぬひま
にて、翁参り寄りて、うけ給はりてさぶらひぬる事の忘れがたく候也」

との給ひけり。さればはかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事
なり。

「念仏、読経、四威儀(しゐぎ)を破る事なかれ」

と、恵心(ゑしん)の御坊(ごぼう)も戒(いましめ)給ふにこそ。



二 丹波国篠村平茸生事[上本一]  

是も今は昔、丹波国篠村と云所に、年比(としごろ)、平茸やるかたもなく多か
りけり。里村の者これをとりて人にも心ざし、又われも食ひなどしてとしご
ろ過る程に、その里にとりて宗(むね)とあるものゝの夢に、かしらおつかみ
なる法師どもの二三十人ばかりいできて、

「申すべき事」といひければ、

「いかなる人ぞ」ととふに、

「此(この)法師原(ばら)は、此としごろもみやづかひよくして候ひつるが、
此さとの縁つきて、いまはよそへまかり候ひなんずる事の、かつはあはれ
にもし、又事の由(よし)を申さではと思ひて、このよしを申すなり」

といふを見て、うちおどろきて、

「こは何事ぞ」

と、妻や子やなどに語る程に、又その里の人の夢にも此定(じやう)にみえた
りとて、あまた同様に語れば、心もえで年も暮ぬ。さて、次(つぐ)の年の九
十月にもなりぬるに、さきざきいでくるほどなれば、山に入て茸をもとむ
るに、すべて蔬(くさびら)大方(おほかた)みえず。いかなる事にかと、里(さと)
国の者思ひて過ぐる程に、故仲胤僧都(ちゆういんそうづ)とて説法(せつぽふ)な
らびなき人いましけり。此事をきゝて、

「こはいかに、不浄説法する法師、ひらたけに生(むま)るといふことのある
ものを」

と、の給ひてけり。されば、いかにもいかにもひらたけはくはざらんにこと
欠くまじきものとぞ。
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