底本、『土佐日記』(岩波文庫、1999年、6月25日、第26刷)

                         『土佐日記』

  をとこもすなる日記(にき)といふものを、をむなもしてみむとてする
なり。某年(それのとし))(承平四年、934年)のしはす(十二月)の二十
日余(あまり)一日(ひとひ)の日の戌(いぬ)の時に、門出す。そのよし(由)
いさゝかものに書きつく。

  ある人、県(あがた)の四年五年(よとせいつとせ)はてゝ、例の事ども皆(みな)
しをへて、解由(げゆ)などとりて、住む館(たち)より出でゝ、船に乗るべ
き所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年来(としごろ)よくくらべつ
る人々なむ、わかれがたく思ひて、日しきりにとかくしつゝ、喧(ののしる)
うちに夜ふけぬ。

  廿二日(はつかあまりふつか)に、和泉国(いずみのくに)までと、たひらか
に願(ぐわん)たつ。藤原のときざね、船路(ふなぢ)なれど餞(むまのはなむけ)
す。上中下(かみなかしも)、酔(ゑ)ひあきて、いと怪(あや)しく、潮海(しほうみ)
のほとりにて、あざれあへり。

  廿三日(はつかあまりみか)。八木の康教(やすのり)といふ人あり。この人、
国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざるなり。これぞ、偉(たた)はしきやうに
て、餞(むまのはなむけ)したる。守(かみ)からにやあらむ、国人(くにひと)の
心のつねとして、「今は。」とてみえざなるを、心あるものは恥ぢずぞなむ
来(き)ける。これは、ものによりて褒(ほ)むるにしもあらず。
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