New Terms & Usages 《新語・新用法紹介》

話題となっている語、いかにも今という時代を感じさせる新しい用語、馴染みの語の新しい用法をご紹介。過度に専門的と思われるような用語はできるだけ避けたいと考えています。
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No.46 "the Day of Infamy"No.45 "September 11"の補記。読者のご意見を元に。)

「毎回New Terms & Usages 《新語・新用法紹介》を楽しみにしています」というあり難い読者M.M.氏から、No.45 "September 11"の記述について以下のようなご意見及びご指摘をいただいた。深く感謝申し上げる。

このテロ事件に関しては「パールハーバー以来の」という修飾語が付けられる ことが多いようですが、"date that will live in infamy" "Day of Infamy" がパールハーバー奇襲の日を指すということを説明した方がよかったと思います。
(何故anotherNewが使われているのかがはっきりします)

1941年12月8日の演説でFranklin D. Roosevelt大統領は次のように述べまし た。

Yesterday, December 7, 1941 -- a date which will live in infamy -- the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.

演説草稿では"date that will live in infamy"という言葉は使われていな かったようです。

Yesterday, December 7, 1941, a date which will live in *world history*, the United States was *simultaneously* and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan."

M.M.氏のご指摘通り、9月11日のテロ攻撃に際しては数多くの書き手が真珠湾攻撃[Pearl Harbor]を連想している。表題に"Pearl Harbor"を含む記事は今のところ目にしてはいないが、"day of infamy"を含む報道記事・解説・論説は気がついた限りでもいくつかあった。No.45 "September 11"で引用した文例の出典、Column: New Day of Infamy (By WILLIAM SAFIRE, The New York Times ON THE WEB, SEP 12, 2001)の他にも、

Day of infamy (Economist, Sep 12th 2001)

Column: Another day of infamy: In this case, civilians are the targets (by Howie Carr, Boston Herald, Wednesday, September 12, 2001)

Editorial: Another day of infamy (Baltimore Sun, September 12, 2001)

Opinion: Two days of infamy - and the chance to lead (By Godfrey Sperling, Christian Science Monitor.com, the September 18, 2001 edition)

ここ60年ほどの合衆国の歴史の中では"the day of infamy"は"Pearl Harbor"の別称とされているらしく、いずれの記事でも"Pearl Harbor"が引き合いに出されている。

合衆国両院合同議会での大統領演説という極め付きの公式の場においても、それとはなしに"Pearl Harbor"への言及は行われるのである(この演説では"infamy"という語は用いられていない)。

アメリカ人は数々の戦争を体験しています。しかし、過去136年の間、戦争は外国の地におけるものでした。1941年のある日曜日を別にすれば。

Americans have known wars. But for the past 136 years they have been wars on foreign soil, except for one Sunday in 1941.
(President Bush's Address on Terrorism Before a Joint Meeting of Congress, The New York Times ON THE WEB, September 21, 2001)


草稿中の"a date which will live in world history"について

M.M.氏にご教示いただいた点、草稿段階では"a date which will live in world history"云々、については、
National Archives and Records Administration中の頁"A Date Which Will Live in Infamy: Historical Background"(http://www.nara.gov/education/teaching/fdr/infamy.html) が参考になる。そこには以下の記述が見える。

He made the most significant change in the critical first line, which originally read, "a date which will live in world history." (下線は引用者)
演説のタイプ原稿を画像で見ることもできる。加筆された結果"a date which will live in infamy"に落ち着いたことまではわかる。ただ、画像から加筆前の該当部がどうであったかを読み取るのは少々難しい。

"infamy"という語の意味合いについては次のような記述があった。

In his second draft, he crossed out "world history" and substituted a condemnatory word that was far more memorable: infamy. Though its adjective, infamous, was frequently used, the noun infamy was less familiar. It means "evil fame, shameful repute, notorious disgrace" and befitted the nation's shock at the bloody destruction at Pearl Harbor, a successful surprise blow that was instantly characterized by the victim nation as a ‘‘sneak attack.’’
〈その第二稿で、彼は "world history" を抹消し、遥かに記憶に残る断罪的な語、infamy[汚辱]に書き換えた。 その形容詞infamousはよく用いられていたが、名詞infamyはそれほど馴染みのある語ではなかった。この語は「悪名、恥ずべき世評、公然の恥辱」を意味し、真珠湾での血腥い破壊、被害を受けた国によって直ちに「奇襲」と特徴づけられることになった首尾よく不意をついた攻撃で受けた国民の衝撃に見合っていた。〉
(Column: Words of the War on Terror By WILLIAM SAFIRE, The New York Times Magazine ON THE WEB, SEP 23, 2001)


関係詞thatとwhichの使い分けについて

ローズベルトの演説原文(注1)の"a date which will live in infamy"の転用のされ方を見ていると、関係詞thatとwhichの使い分けがこれ以上はないほど明確に行われているのに気づく。原文を直接引用している場合(注2)を除くと、No.45 "September 11"で引用した部分を含め、目にした限りではすべてが"a day[date] that will live in infamy "とthatを用いているし、引用という体裁を取っていながら"that"を用いている例さえある(注3)。馴染みの言語事実である。


"the Day of Infamy"について

「リーダーズ+プラスV2」には次のようにある。

"the Day of Infamy" 忌まわしき日 《1941 年 12 月 7 日未明, 旧日本帝国海軍が真珠湾の `奇襲攻撃' を行なった; このため米国は翌日日本に宣戦布告をし, 第 2 次大戦に参戦することになった; そのとき議会で大統領 Franklin D. Roosevelt が用いたことば》.]
ローズベルトの演説全文を読めば分かるとおり、"the Day of Infamy"という表現をローズベルトは用いていない。従って「Franklin D. Roosevelt が用いたことば」という記述は厳密に言うと適切ではない。想像するに"a date which will live in infamy "から、"day[date] of infamy"という表現が派生したのである(注4)。ちょうど、"the United States of America was suddenly and deliberately attacked by ....."を元にして「奇襲[sneak attack]」(Column: Words of the War on Terror By WILLIAM SAFIRE, ibid. 参照)あるいは「急襲・不意打ち[sudden attack/surprise attack]」が非反省的に使用されるに至り、今なお引き継がれているように(注5)


"sneak attack"あるいは"sudden attack/surprise attack"について

「急襲」が成立したのは一つには「諜報機関の破局的不手際」(Where They Came From by Michael Ignatieff。(注5))があったからである。9月11日のテロ攻撃についてさえ諜報機関の不手際を指摘しうる(注6)としたら、「真珠湾」についてはなおのことなのである。戦争は突如としてはじまるわけではない。当時の日米関係の緊迫の度合いは、例えば現在の合衆国とイラクの関係の緊迫度などとは比べようもなかった。警戒を怠らざるべき理由はあったのである。

Further, President Roosevelt, just a couple of days earlier, had warned of the breakdown in negotiation with the Japanese and that we were at a point of high risk of being attack.
〈その上、ローズベルト大統領は、(真珠湾攻撃の)ちょうど数日前に、日本との交渉の決裂を警告していたし、それにまた私たちは攻撃の高い危険にさらされていた。〉
(注)無名の一兵士による第二次大戦回想記。文章には相当難がある。
(The Cruiser Scout: Chapter 4 -- "Day Of Infamy" by Paul A. McKinley, cruiserscout.com)(注7)
ただし情報収集力の不足だけが「不意打ち」を可能にするわけでもない。 オアフ島の北西部に設置された早期警戒レーダーに巨大な光点が映った後どんなことが起こったか。
When the sighting was reported about 7:00 that morning, the officers to whom it was relayed, dismissed it as a flight of geese. The whole island could have been waiting for them, but complacency put the officers in command off guard. (ibid)
〈その発見がその朝7時頃に報告されたとき、報告を受けた当直士官はそれを雁の一隊であるとして片付けた。全島がそれを待ち構えていたであろうが、自足感によって当直将校は警戒を緩めていた。〉(注8)

「不意打ち」を成立させることになる「自足感」は将校から一兵卒にいたるまで、現象の仕方は様々であったにせよ、合衆国に遍満していたのである。
以下は一兵卒の「自足感」である。

James Wire, ship fitter third class, couldn’t imagine that the Japanese would attack Pearl Harbor. Reflecting the racial views all too typical of his time, he regarded the Japanese as incapable of such a bold affront.
〈三等艤装手であったジェイムズ・ワイアには、日本人が真珠湾を攻撃しようなどとは想像もしえなかった。当時のあまりにも典型的な人種観の反映だが、日本人にはあのように大胆な侮辱的行為は不可能であると彼は思っていた。〉
(注)James Wire : 真珠湾攻撃の生存者。この記事の時点で82歳。
(注)2001年に公開されたディズニースタジオの映画“Pearl Harbor”の特集記事。脚本はランドール・ウォリス[Randall Wallace](“Braveheart”も氏の作品)。

(The Real Day of Infamy By Evan Thomas, Newsweek[MSNBC.com], 2001 May 14 issue)
そして当直将校の「自足感」。
Tyler, who is now 88, told NEWSWEEK that he did not think “the Japanese would have the audacity to do it against a powerful country like ours. Most people thought Japan wasn’t all that significant.”(ibid)
〈今88歳のタイラー氏はニューズウイーク誌に、「日本人が我が国のような強国に対してあのようなことをするほど大胆である」とは思っていなかったし、「たいていの人たちは日本はそれほど大した国ではないと思っていた」と語った。〉
(注)Tyler : 当直士官であったカーミット・タイラー大尉[the lieutenant in charge, Kermit Tyler]。(注8)参照。
最上層部の「自足感」。
Love points out that Kimmel failed to send out patrols while keeping his own fleet at a low state of alert, despite numerous signs and portents that war was near.(ibid)
〈ラブ教授が指摘するのは、キンメル司令官は偵察を送ることを怠る一方、艦隊の警戒態勢を緩めたままであった、戦争が近づいているという数々の徴候や予兆があったにもかかわらず、という点である。〉
(注)Love : 海軍兵学校教授であり真珠湾の専門家でもあるロバート・ラブ氏[Robert Love, a professor at the U.S. Naval Academy and a leading authority on Pearl Harbor]。
(注)Kimmel : 太平洋艦隊司令官ハズバンド・E・キンメル海軍大将[Adm. Husband E. Kimmel, the fleet commander]。

組織とて「自足感」と無縁ではなかった。
But a warning telegram from Gen. George C. Marshall, Army chief of staff, was delayed by bad luck and red tape and delivered to Kimmel five hours after the attack had begun. (ibid)
〈しかし、陸軍参謀長ジョージ・G・マーシャル大将からの警戒を告げる電信は不運と官僚主義によって遅れ、キンメル大将の手元に届いたのは攻撃が始まって5時間後であった。〉

アメリカ国民全体が自足していた。

The American people, so complacent up to then, suddenly buzzed with wild rumors.(ibid)
〈その瞬間まで非常な自足感にひたっていたアメリカ国民は突然途方もない噂話にざわついた。〉
(注)then : 真珠湾攻撃を受けたとき。
あれから60年経っても「自足感」は止むことなく続いていた。
“Americans have become complacent,” he told NEWSWEEK. “They think it can’t happen now. But it can.”(ibid)
「アメリカ人は自己満足に陥っている。」と彼はニューズウイーク誌に語った。「アメリカ人はあんなことは今は起こるはずもないと思っている。しかし、起こり得るんだ。」
(注)he : 真珠湾攻撃の当時三等艤装手であったジェイムズ・ワイア(82歳)[James Wire, ship fitter third class]。
更に(注9)参照。


FDRの言葉の選択について

軍事専門家ならぬ軍事素人が60年前の軍事的作戦(真珠湾攻撃)を見直してみても、あれが合衆国側のとてつもない失態の結果であったことを見て取るのはたやすい。ただし、日本の軍部の選択したあの作戦が、国家戦略的・軍事戦略的・軍事的成果の点から見て、どれほど賢明であり有効な作戦であったのかどうかは別の問題ではある(注10)

およそ軍事的作戦の要諦は、機密を保ち、隠密にことを進めること、敵側に"sudden"という印象を与え、敵側に"surprise"を引き起こすことである。作戦の隠密を最後まで保つことは称賛の契機となりこそすれ(注13)、非難の根拠とはなりえない。隠密のまま遂行し得なかった作戦を待ち受けていたのは、ミッドウエーの破局であった。罠に誘い込むつもりが罠にはまったのである(注12)。また、宣戦布告云々という点について言えば、宣戦布告とは適切には第一撃のことである。国家間戦争は審判の掛け声「ファイト」で始まるわけのものではない。

ローズベルトの「真珠湾演説」(注1)の冒頭の一文

Yesterday, Dec. 7, 1941 -- a date which will live in infamy -- the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.
〈昨1941年12月7日(汚辱とともに記憶されることになる日である)、アメリカ合衆国は大日本帝国空海軍による用意周到かつ突然の攻撃を受けた。 〉
に見える"suddenly "は、あえて選択された扇情的言辞でも、攻撃を予期していたことを糊塗しようという思惑(注11)のもとで用いられたものでもないとしたら、FDRの大統領としての職務に懈怠があったことを露呈するものでしかない。隠れるところもない大海原、太平洋を越えて(注13)の攻撃を《不意打ち"sudden attack"》にしてしまった懈怠が確かにあったのである(注7及び注9参照)。国民を国家を守るという大統領の至上の責務の懈怠が、起こり得る軍事攻撃に対してなすべき警戒を怠った責任の所在は軍の最高司令官ローズベルトその人にあることが、"suddenly"という語の選択に現れることになった。
Days of Infamy: Macarthur, Roosevelt, Churchill, the Shocking Truth Revealed : How Their Secret Deals and Strategic Blunders Caused Disasters at Pearl Harbor and the Philippines by John Costello; Paul McCarthy (Editor) といった書物が生まれる所以である。


合衆国の大地[America's shores]とハワイ・フィリピンについて

以下は大西洋の西側からの見方である。

Their shores were never breached, except at Pearl Harbour and that was an act of war, in the middle of a war, upon a navy, not on cities.
〈彼らの土地は、真珠湾の場合を除けば、これまで一度たりとも侵されたことはなかった。しかもあれは戦争の只中における、海軍に対する戦争行為であった。都市をねらったものではなかった。〉
(Opinion: The rule of reason over madness died along with the victims by Polly Toynbee, Guardian Unlimited, Wednesday September 12, 2001)
これが当事者にしてみると、いや、真珠湾以前にも一度だけあった(注14)ということになるのは、やった方は忘れていて、やられた方はよく覚えているというもう一つの事例である。

ところが、合衆国の国土が犯されたのは一度きりであるとする当事者もいる。しかもその一度きりの侵略は真珠湾のことではない。

The last time the national territory of the US was under attack, or for that matter, even threatened was when the British burned down Washington in 1814.
〈合衆国の国土が最後に攻撃されたのは、更に詳しく言えば、最後に脅かされたのは、1814年に英国がワシントンを焼き払ったときであった。〉(注15)
(注)1814 : 1812年戦争(米英戦争)の時代。
(注)10月11日にMIT[the Massachusetts Institute of Technology]で行われた講演の抜粋。

(Terrorism works by Noam Chomsky, Al-Ahram Weekly Online(Egypt), 1-7 November 2001, Issue No.558)
その理由は以下のとおりである。
In press reports following the attacks, it was common to bring up Pearl Harbour, but that is not a good analogy. Whatever you think about it, the Japanese bombed military bases in two US colonies -- not the national territory, which was never threatened. These colonies had been taken from their inhabitants in not a very pretty way. The US preferred to call Hawaii and the Philippines a "territory", but they were in effect colonies. (ibid)
〈 この攻撃(9月11日のテロ)後の報道では、真珠湾を持ち出すのが普通であったが、適切な類比ではない。真珠湾攻撃についてどう考えようと、日本人は二ヶ所の合衆国植民地にある軍事基地を攻撃したのであり、国土を攻撃したわけではなかった。国土は決して脅かされなかった。これらの植民地はその住民たちの手からあまり芳しからぬやり方で取り上げられていた。合衆国はハワイとフィリピンを「領土」と呼ぶほうを好んでいたが、実際には植民地であった。 〉
「真珠湾」との相違をこのような点に見出すのはチョムスキーならではである(「真珠湾」との相違に関する在り来たりの見解については(注5)参照)。 チョムスキーが「二ヶ所の合衆国植民地」と呼んでいるハワイとフィリピンは1941年当時いずれも合衆国の所領[territory]であった。ハワイは1900年に準州[territory]となり、50番目の州となったのは1959年である。1946年のフィリピン独立を認めるフィリピン独立法が1934年に合衆国議会で成立したが、1941年当時フィリピンはいまだ合衆国の所領であった。真珠湾攻撃と同じ日、日本軍はルソン島のクラーク基地も攻撃した(注16)

"Pearl Harbor"に言及されることはあってもルソン島のクラーク基地[Clark Field]が想起されることはない。

Unlike Pearl Harbor, the identity of the perpetrators is not immediately obvious, no Tora! Tora! Tora! nor planes with the rising sun on their wings.
〈真珠湾の場合とは異なり、今回の犯行者たちの正体は直ちに明らかというわけではない。トラ、トラ、トラもなければ、翼に旭日のついた航空機もなかった。〉
(注)Tora! Tora! Tora! : 真珠湾攻撃を命ずる暗号。

(Opinion: An Act of War BY PETE DU PONT, The Wallstreet Journal, Wednesday, September 12, 2001 12:00 a.m. EDT)
"Pearl Harbor"の際は「犯行者」の正体は明白であったということになる。この一文には"Pearl Harbor"が4度登場する。"Clark Field"の文字はない。


その他の"day of infamy"について

2000年12月の"infamy"。

It seems to me, on the basis of all that is coming down on this day in the USA, that today is another day that will live in infamy.(下線は引用者)
〈合衆国で今日起こっているありとあらゆることを基にすると、今日という日は汚辱とともに記憶されることになる新たな日付であるように私には思える。〉
(注)today : 2000年12月14日。フロリダ州の開票を巡って混迷を続けた2000年米大統領選でブッシュ候補の当選が確定し、ゴア候補が敗北宣言した日。 
(注)"Progressive Sociology Network"への投稿。

(Another Day that will Live in Infamy(14 December 2000 03:31 UTC) by Scott Kerlin, Progressive Sociology Network)

百数十年前の"infamy"。

"1845 - 1852 YEARS OF INFAMY"(1845 - 1852 忌わしき時代)
(http://www.alltel.net/~dmurphy595/Years_of_Infamy.html)。

1845年から続いたアイルランドのジャガイモ大飢饉[The Great Potato Famine of Ireland]である。1845年から1851年の期間の餓死者は2,225,000人以上と見積もられている。

最後に、重ねてM.M.氏の貴重なご意見・ご指摘に心より感謝申し上げる。

2001/11/20記;12/9補記


【編集後記】

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