独言独歩
中村雄二(現文講師)のコラム


  3.長島(1) 弁明の伏線

  1998年4月3日、開幕試合となるヤクルト対巨人戦、八回表、先頭打者高橋が死球で出塁する。フジテレビの解説者、江本の発言は、杉山にバント、打撃のいい桑田に期待すべき、であった。杉山は三振。次打者、桑田がバスターを試みたりし、結局スリーバントで高橋を送った後、江本は同じ発言を繰り返す。ツーチャンスで勝負すべきなんだ、杉山に送らせて、桑田、一番の仁志の二人に期待をかけるのが当然だ、長島のやることはわからん。言葉を換えると、長島の作戦はなっておらん。

  九回裏、ヤクルト最後の攻撃、桑田は先頭打者に二塁打を打たれ、次打者の土橋を打ち取り、池山には四球、ムートンを最終的には三振でしとめて二死、続く打者に四球、これで満塁。巨人は桑田をその年テスト入団した金石に換える。

  文化放送の解説者、西本聖の発言、「ここまで来たら桑田に投げさせてやりたい。こんなプレッシャの中で金石に投げさせるのは酷だ。」

 金石は代打の辻をツースリーから空振りの三振にしとめる。西本の発言、「長島監督の今年にかける意気込みが伝わってきます。金石を押さえに使える見通しが立った。」

  八回表、杉山にバントで送らせるのは、常道だったし、九回裏、最後まで桑田に投げさせるのも、無難な選択だった。

  常道を踏む、無難な選択をする、これが弁明の伏線であることがある。とるべき手は打った、勝負の女神に見放された、相手が一枚上だった。常道を踏み外す、果断を要する選択をする、人はこうして退路を断つ、あるいは退路が断たれる。常人から、「奇怪」あるいは「愚か」と見える決断は、結果によっては罵詈譫謗の格好の餌食になる。時に、「奇策」や「愚策」に導かれた勝利はただの偶然に過ぎず、指揮官の手腕とは無関係の要素が介在した結果である。いずれ、指揮官の常識はずれ気まぐれと見える指揮は、「世間」の冷ややかな視線を逃れない。


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