『雑想雑感』 (野島明) 

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彼処かしこまでは至り得ぬ言葉

   渡辺保(演劇評論家)は、築地小劇場出身の女優田村明子を、近代劇の名優、名女優の内の本当に演技派であった女優の一人、 リアリズム演劇の精髄を極め頂点を極めた女優であったと評し、大衆演劇・映画で女優として大成した山田五十鈴、新派の女優として大成した水谷八重子、新劇の山本安英といった名立たる名女優たちと比べても際立って演技が上手かった、と絶賛した後、番組(注1)の最後に、 オーギュスト・ストリントベルク(August Strindberg)の戯曲『死の舞踏』のラジオドラマ版で、老夫婦(滝沢修演ずる砲兵大尉エドガーと田村明子演ずるその妻アリス)間のやり取りの場面を二分ほど流す。

   田村明子が、新劇界において冠たる名優滝沢修を向こうに回し、一歩も引けを取らぬどころか、その演技力は滝沢を相手にして優位に立つほどのものであったことを知るには、四五十秒もその場面に耳を傾ければ足りた。言わば声だけで「3D」(スリーディー)が可能であると、私はその声を聞いているばかりであるのに、そのやり取りは私の眼前で行われているのだと思わせる演技であった。

   その演技は、渡辺保の絶賛を、言葉足らず虚しい、と感じさせた。生半なまなかな言葉をもってしては至り得ぬ高みのあることを思い知らされるのであった。

記 二千十年五月

(注1)
   昭和名人伝(第五回 田村秋子)(NHKラジオ第二、二千十年四月二十八日放送)


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