『雑想雑感』 (野島明) 
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その一

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アンドレア・ドウォーキン

   アンドレア・ドウォーキン(注1)が容貌に、優しい男たちとのめぐり合いに、特に足りないところのない家庭生活に恵まれながらかような言説を紡ぎ続けたわけではかったのは、彼女の言説がその容貌と過酷な体験に寄り添うものであるかのように見えるということは、人間の混沌をこれ以上深刻化させないという点で、せめてもの幸いであった。

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歌声

   バーブラ・ストレイザンドやカレン・カーペンターの歌声は、その時の気分をつまみに日に三度、毎日でも味わうことができる。言ってみれば飛切りの白いご飯だ。

   トニ・ブラクストン[Toni Braxton]の歌声はどうだろう。例えばアルバム"Secrets"収録のUn-Break My Heartを歌うブラクストンの歌声は。

   その味は上等、問題は、食した後の胃のもたれ具合である。

   昔日の胃もたれ体験が脳裏をよぎる。

   十数年前、ロンドンの街を歩いていてふと目についたフィッシュアンチップス屋[fish‐and‐chip shop]で、(もちろんその味には初めから期待などしていなかったが)まずは後学のためにと、大ぶりのタラのフライと大量の(細切りならぬ太切り)ポテトチップスを食してみた(一人前をようやっと完食した)。予想に違わぬ無味と大量の油を摂取すれば免れるわけにもいかぬ重度の胃もたれ。

   とまれ、私はブラクストンの歌声が気に入っている。安価なもの以外、音楽CDを滅多に買うことのない私は、もはや九十年代のことであるが、どこかで耳にしたブラクストンの歌声が忘れられず、わざわざ「レコード屋」に赴き、"Secrets"を購入したほどである。男は大勢としてブラクストンの歌声を気に入るのではないかと思っている。

   果たして女はブラクストンの歌声にどう反応するか――ブラクストンの歌声を聞いて以来、その答えが気にかかってならない疑問である。

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説教する豚(?)

   突然変異によって自意識を得た一頭の豚は、自分が食らわれるためにのみ存在している種の一員であるという現実をどう受け止めるか。自分もやがて屠殺され解体され肉体の隅々までむさぼられるという現実を《神》の思し召しとして受忍するか。食らわれるまでの短い時間、ひたすら餌に食らいつくばかりの仲間の豚たちに《神》を説くか。自ら生命を絶とうとするか、あるいは絶ちたいと思うか。

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あの頃

   小汚い格好をしてやたら元気ながきどもが街に溢れていた頃、皆はもっと幸せであったか否か。 わたしは今より遥かに無垢なただのがきで、将来など無限の彼方のことであった。親たちは皆若い体力を溢れさせていた。

   その証拠?

   彼らはセックスに励んでさえいた。

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原初的衝動

   厳かな清らかさが装われている空間であるからこそ、彼らは《けがしたい》という衝動に駆られる。男と女の月並みな交わりではそのような空間を汚すことはできない。そのような健康的行為はむしろそんな空間にこそ似合うのである。決して似つかわしくない行為でこそ汚せるのである。 まっさらな面を汚したいという原初的衝動。汚したい、壊したい、……。

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そうめん流し

   そうめん流しの長いといの下流のなお下流でそうめんを掬う。

   上流ではあらぬ方を見やりながら箸を出してもそうめんはたっぷりと勝手に箸に絡みつく。

   下流のなお下流では目を凝らしてじっと待つ。狙い済まして箸を出してようやく切れ端一本をつまめる。

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球体上の点

   例えば巨大な球のある点に生じたのが私であるとする。私はその球のいずれかの位置にある死という点に向かって歩む。その全行程が私の生涯である。私が辿りうるのは、いかに複雑な経路を敢えて選択したところで、球の表面全体の微々たる部分でしかない。この球の表面全体を知ること、更には、飛躍した物言いをすると、球の内部や球を取り囲む空間を知ることは、決して叶うことではない。

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ごみ

   ドアが開いたと思ったら手首が一瞬現われて消えた。私の足元に丸めたセロファンが落ちていた。それを拾い電車に乗った。手首の主はドア脇の座席の男しかいなかった。男の前に立ち、丸めたセロファンを親指と人差し指でつまんだまま、相手がそれを受ける用意をするのを待った。男はすぐに手のひらを差し出した。その上に丸めたセロファンを置き、私はその男の横に腰をおろした。

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ねぇ……

   女は自信満々に言った。「ねぇ、わたしのおまんこ舐めたい?」

   「まあね」私は女の自信を尊重してやった。いいわよと女が股間を広げたら私はまたにしとくとでも言うほかはない。もう舐めたくないのである。

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願望

   罪はその報いを受けてしかるべきであると考えるのであれば、善行は報われてしかるべきと考えてもいるのか。

   無償の善行があるのなら、罪についても然りである。

   善行は報われて欲しいという願望、罪はその報いを受けることがあって欲しいという願望、神はいて欲しいという願望。

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浪費

   人の数ほどの《(時間の)浪費》がある。

   甲(という人物)から見ればおのれ以外のすべての人に、ときには己にも、《浪費》を見出せることになる。

   乙の視点から見ようが丙の視点から見ようが同じである。

   乙は己の属する集団の外部のいたるところに《浪費》を見出せるという言い方をしてもいいし、丙は己の属する集団にのみ《浪費》を見出すと言っても同じだ。

   以上、くだらん、という有り触れた呟きの解説である。

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非情な事態

   ある事態に身を置いて初めて見えることがある。

   絶望的事態に身を置いて初めて見えることがある。目に見えてもやがて見えなくなるかもしれないことである。浮かび上がることが至難であるからこそ「絶望的」と形容されるのである。

   見えていることを記録することも許されないという事態。

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非行

   "a*a"(「*」は乗算記号)は"2a"であるとする非行。

   君は私の言うことを素直に聞いているように見えるが、"a+a""a*a"をいずれも"2a"とすることを止めない。君の精神は非行を止めることがない。

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せめて……

   大滝詠一の名曲が背景に流れる緑茶のテレビ広告を見て、不謹慎のそしりを逃れず、どうにもならぬこととは知りつつも、独り占めさせておくのはあまりにも惜しい、と思うのは私だけだろうか。

   どうにかならならないものだろうか、せめて二人占め、一人は私ということで。

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今の私

   今の私は兵卒には不向きである。

   理不尽であると私が判断する命令には従わない。

   無能であり、それゆえ部隊全体に危害を及ぼす可能性があると私が判断する指揮官は、必要とあれば万難を排してでも排除する。


(その一 了)


(注1) Andrea Rita Dworkin : 『現代英語力標準用例集』(野島明 編集著作)の「固有名詞」"Dworkin" 、更に「顧みられぬもの、語られぬこと」『(続)折々のコラム 』参照。

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