(続)折々のコラム(野島明)
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あの整形は、《殆ど犯罪》、じゃないか?

   松本清張スペシャル二本、『霧の旗』(主演:市川海老蔵、日テレ系、三月十六日)と『書道教授』(主演:船越英一郎、日テレ系、三月二十三日)は、いずれも十数分だけ拝見したところで失礼させていただいた。思わず笑っちゃう海老蔵の《演技》に二時間近く耐えるのはいくらなんでも至難の業で、海老蔵に「つきづきしき」相手役相武紗季がようよう覚えたのであろう長台詞を懸命に暗誦する場面あたりで失礼させていただいた。『書道教授』の方は展開の粗雑さにあきれて、これも早々に失礼させていただいたという次第である。

   海老蔵が主役を務めたNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(2003年)では、 風呂場で襲われた武蔵が見得を切っているのを見て笑ってしまったし、木村拓哉主演のTBSのドラマ『MR.BRAIN』(2009年)ではその浮き上がった《存在感》も笑えるものだった。演技に進歩は見られない。果たして海老蔵は自分に演技力が全く欠けていることを自覚しているのだろうか。或いは演技の未熟を誰も海老蔵に告げ知らせないのであろうか。足りぬところが分からぬままでは努力の仕様がないであろうに。

   ただし、である。梨園の名門の御曹司海老蔵だ。役者稼業を続けながら、演技力を磨く時間がたっぷりある。三十年後くらいにはその演技力で見るものをうならせて欲しい。気の毒なことに相武紗季に時間は与えられていない。可愛い系女優の悲しさである。

   ドラマの出来不出来を左右する要素の一つが、主役を誰にするか、と同時に、相手役に誰を配するか、という配役である。配役の妙が成立して初めて、そのドラマの出来が「よい」方へと傾くのであるが、主役の人選を誤った上に、誤ちの目立つのを避けようとしたのか、誤った人選である主役につりあう相手役を選び、二重の誤ちという不始末を犯す。主役の人選の誤ちがどのみち明らかになるのである。ドラマを少しでも出来のよいものにしようとしたら、せめて相手役の人選を誤ってはならないところであろうに。これでは出来不出来を論ずる以前の問題である。いや、人選を誤ったと判断するのは》正確ではないであろう。なぜならば、相手役の人選を見れば、初めから決まっている主役に当てる相手役の選択肢はすでに限られているからである。相手役に例えば柴崎こうを配するわけには到底いかなかったのである。ただ、海老蔵に相武紗季という割れ鍋に閉じ蓋の組み合わせはどうであろう。 配役の妙ならぬ配役のへんちくりんとでも評するしかあるまい。

   『火の魚』(主演:原田芳雄、NHK総合、三月十三日)は原田と相手役尾野真千子(注1)の好演に、『遠まわりの雨』(主演:渡辺謙、日テレ系、三月二十七日)は渡辺と相手役夏川結衣の好演に引っ張られて最後まで見た。原田演ずる怒りっぽい老作家ははまり役であった。渡辺については、いい俳優だねぇ、と思いを新たにさせられた。

   問題は『遠まわりの雨』の冒頭近くで夏川がはじけた表情を見せた場面である。そのはじけた表情を目にした瞬間、私は、アイツ(注2)にそっくりではないか、という驚愕と衝撃に全身を打たれた。整形したことが公然の秘密であるアイツである。アイツは何と、夏川結衣に似せて整形したのだ。ずいぶん年齢を重ねてしまいはしたが、私が気に入っている数少ない俳優の一人である夏川結衣の写真を見ながら、整形外科医はアイツの顔をつくりあげたのだ。これはもう、《殆ど犯罪》、じゃないか?私は気に入りの夏川結衣を見るたびにアイツの顔を思い浮かべさせられることになる。悪夢だ。この種の整形は断固として取り締まるべきだ。

   私がアイツをどう思っているかだって?不幸中の幸いなのかどうか、私はアイツを特別に嫌いではないが、それ以上どう思いようもないではないか、アイツを。好きに思えってか、アイツを。無理言わんでくれ。

記 二千十年四月

(注1)
外事警察(2010年3月24日、NHK)- 松沢陽菜役 と同じような、表情を押し殺す役柄であったが、好演であった。違う役を演ずるのを見たい。

(注2)
「アイツ」が誰のことかは上述の通りである。夏川結衣のはじけた表情とそっくりの表情をする「アイツ」のことだ。ああ、悪夢。


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