(続)折々のコラム(野島明)

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《非特権的視点》 

   山折哲夫は「日本人の身体感覚」という講演(注1)の中で、過去に体験した幾度かの大病を、胃を三分の一切除するに至った十二指腸潰瘍、胆嚢全摘出、急性膵炎、若い頃の手術の際の輸血が原因で感染したC型肝炎等々を語っている。身体にまつわるあれこれを、吐血やら下痢についてさえ語っている。

   しかし、手術やら入院やらにどれくらいのかかりが必要であったのか、その結果、生活がどれくらい苦しくなったのか、山折はなぜか一言も語らない。物象を語るが経済を語らない。病気にまつわる尾篭な話しすら避けることはしないが、医療費やら収入の途絶といった経済的重圧については何一つ語らない。

   山折は同じ講演の中で、戦後間もない頃上野動物園で行われたある式典の一場面を熱く語っている。インドから送られてきた小象「インディラ」の寄贈式には訪日中のネルー首相と娘のインディラ・ガンジーが列席していた。

   ネルーさんとインディラ・ガンジーさんは合掌して挨拶された。それに対して日本の高官は身体をもじもじしさせている。おそらく握手をしようとしたんでしょう。向こうは合掌している。

   わが国には合掌の伝統があったはずです。ところが合掌もできない。握手もできない合掌もできない。そのもじもじした中途半端な日本側の代表者たちの醜態というものを私はほんとに許せないんです。情けない姿でした。

   なぜ自然に合掌できなかったか。(注2)

   山折はなぜ「自然に」金銭を語れなかったのか、あるいは、語らなかったのか。

   もし私が大病を患ったら、私という存在は、あるいは大病それ自体によって、あるいは大病のもたらす金銭的負担によって、いずれにせよ押しつぶされる。大病を放置すれば大病それ自体によって、大病の治療を受けることにすれば治療を受けることに伴う金銭的負担によって、いずれにせよ、私は押しつぶされる。金があっての生活、生活あっての身体である。

   金銭を語る必要がないという視点がある。金銭を語らざるを得ないという視点がある。後者はいわば《非特権的視点》である。

記 〇五年九月

(注1)
講演「日本人の身体感覚」(NKKラジオ第2、7月17日(日)午後八時放送)。国際日本文化研究センター所長という肩書きが紹介されている。

(注2)
録音を元にした引用である。一部聞き取りにくいところがあるため、一言一句発言のまま、というわけではない。

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