(続)折々のコラム(野島明)

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10月からのNHKラジオ中国語講座応用編 
――あたかも、斎戒沐浴の上威儀を正して講義に備えよ、と言わんかの如き――

   2005年十月開講の「NHKラジオ中国語講座応用編」(注1)を苛立ちを抑え込みながら一応二週分聞いてみた。結局、聞くのを止めることに決した。録音してある今年度前期の応用編講座を聞き直しながら春を待つことにした。

   「中国語deジム」と銘打たれた新趣向の講座に私は「不合格」の評価を下したのである。

   まず、「人間が言語を習得する上での<認知モデル>が応用されている」(注2)とかいう能書きの「クイズ」に辟易した。金曜日の講座前半の新しい試み「ウォーミングアップ〜リンゴ、バナナ、そして文法?」と題された「クイズ」である。

   「音声の指示に従って」様々な図の上や下や右や左に「○をつけなさい」などという練習がそれだ。テキストを開くことが不可欠な形式の「クイズ」である。

   次に、スキットが「ピンイン」(中国語の発音を表記するためのローマ字)でのみ表記されていて、漢字表記はというと、テキストの別の頁に掲載されているという不便さに閉口した。例えば、"queren(44) yixiar(24) zheci(44) de richeng(42)"(10月号テキスト、77頁)の"queren(44)"(注3)が「確認」(簡体字は表記できないため日本語の漢字で済ます)であることを確認するにはわざわざ98頁を開かねばならないという不便さである。この不便さは学習者にとっては全く無益の負担であり、耐える必要のない煩雑である。

   担当講師はおそらく頭を捻って「工夫したつもり」なのであろう。が、今期の講座構成に見られるのは「講師初心者」が陥りやすい典型的錯覚の一つである。「目先を変えて楽しくゲーム感覚で」などという斟酌は幼稚園の子供たち相手にはなされてもいいかもしれないが、完全な自主性が求められるラジオ語学講座の学習者にとっては余計なお世話というものである。

   無益な「工夫」の結果、耳だけで学習できるというラジオ講座の最大の利点が決定的にないがしろにされてしまった。ここに至って視覚障害者もこの講座を利用しているであろうにという思いが浮かびもした。

   応用編担当講師が特に銘記すべきは、応用編にまで進むような学習者には「面白く可笑しくなければいやだ」などというわがまま者はいないということである。応用編講座の聞き手は「寸暇を活用して」学習を続けるような人たちであると想定しても見当違いとはならないであろう。

   文字通り「寸暇を活用して」中国語を学ぶ人間の一人である私は、テキストを開いてラジオ中国語講座を聞くことの方が少ない(注4)。柔軟運動をしながら走りながら軽作業をしながら車を運転しながら、大抵はそんな風にラジオ中国語講座を聞いている。確認したいことがあったら後でテキストを開いて確認する、確認したいことの殆どは語の意味やその漢字表記である。

   あるいは中国ではラジオ講座を介して異語を学習する場合、あたかも斎戒沐浴の後威儀を正してテキストを開き講座開始を待つかのような姿勢で学習することが通常なのであろうか。

   今期応用編金曜講座の「クイズ」は耳で聞くだけであることの多い私にとって殆ど無用の長物である。また、スキット本文を見ても漢字表記を確認できないというテキスト形式は不便この上ない。

   そもそも「ピンイン」で表記された"hanyu"(43)(漢語)に一体どこでお目にかかれるというのか。表音文字を母語とする人たちには「ピンイン」のみの表記で「漢語」を学習することも学習方法の一つであるかもしれないが、日常的に漢字を用いている私にとって、漢字表記を敬遠する理由など全くないのである。

   講師経験を積めば、テキストのあるべき様は結局のところ「単純にして簡素」であることに思い及ぶであろう。そして、ラジオ講座のテキストは耳で聞くだけでも足りるというラジオ講座の特徴を最大限生かした構成にすべきであることは言うまでもない。

記 〇五年十月

追記

   性急に結論を下すのは避けようと、結局一ヶ月以上聞いてみた。「クイズ」の時間には付き合いきれん、という思いは変わることなかった。講座の前半を「クイズ」に充てている金曜の講座は聞かないこととし、土曜の講座は聞く、これが最終的結論である。

記 〇五年十一月

(注1)
金曜日担当は楊達よう・たつし講師、土曜日担当は劉穎りゅう・えい講師。

(注2)
NHKラジオ中国語講座10月号テキスト62頁。

(注3)
"queren(44) yixiar(24) zheci(44) de richeng(42)"中の数字は四声を表す。「44」は第四声の連続ということである。この表記法は、すでにどこかで誰かに用いられているかもしれないという可能性は否定しないが、私が考案した(つもりの)ものであり、一般的なものではないが、極めて有用な表記法である。この方法なら例えば電子メールの文面上でも四声を表記できる。

序に、中級以上のテキストでは四声を表す記号の代わりに数字を用いる方が便利であろうと考えている。視力が衰えてくると、四声を表す記号は判別しにくい。同じ大きさのフォントで表記されるのなら数字の方がずっと判別しやすい(歎息)。

(注4)
私はテキストを購入せずラジオ講座を聞きもする。「サイトのアドレスを教えてくれませんか?[Pouvez vous me donner l'adresse du site?]」(「(続)折々のコラム」)参照。

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